なにのなにさま

ベルリン生活情報サイトべるりんねっと789の「TODAY」コーナーでは、ツイッター機能を利用した「気になる毎日」欄に短信を入れることが多くなり、コラムが入らないのが寂しい~とおっしゃってくださるお声を耳にし、ちょっと書いてみたもの。

毎日とても楽しみにしている(「六草いちかの気になる毎日」に取り上げている)ひとつは、日本の国立公文書館が配信している古典的「今日は何の日」情報。
昨日は、陸奥国会津藩の第9代藩主、松平容保の誕生日になぞらえ、容保の花押が紹介されていた。

「天保6年12月29日(1836年2月15日)、 幕末に京都守護職を務めた松平容保(陸奥国会津藩の第9代藩主)が生まれました。 画像は、容保の花押です。」

というコメントとともに掲載されていた画像はこちら

「気になる毎日」には書かなかったが、実は容保の花押を見た瞬間に佳からぬことを思い描いて、それをフェイスブックのほうに告白していた。
その内容が以下。

今日がお誕生日という、幕末に京都守護職を務めた陸奥国会津藩の第9代藩主、松平容保の花押だそうです。
これを、
「松平肥太る・容器保冷・皿」
と読んでしまった私は…(大汗)
皿に乗ったクロワッサンや焼きそばを想像してしまったのでした。
ちなみにこの画像、松平肥後守・容保と書いてあるのですね。

で、本題です。

今日になって、松平肥後守容保といえば…と思い出した昨年のできごと、くだらないレベルで申し訳ないですが、アカデミックに迫ります!。

現在、福澤諭吉協会という団体が発行する「福澤手帖」という季刊誌に、「福沢諭吉の見た伯林」を連載で書かせていただいています。
これは、150年前、開国後初めてベルリンを訪れた日本人たち、「文久遣欧使節団」のベルリンでの日々を、福澤諭吉の視点から描き出そうという試みです。
初めてヨーロッパにやって来たニッポン男児たちは総勢38人。
ベルリンの「ポツダム駅(現ポツダム広場駅)」に、噂を聞いて駆け付けたベルリンっ子たち数百人が固唾をのんで見守る中、現れたるは38人。
威風堂々!
チョンマゲにはかま姿。長い刀を腰に二本差した、ラストサムライだったわけです。
辺りからは一斉に、うおぉぉぉ~っと怒涛の如き歓声があがり、もう大騒ぎ。
正使(要するにこの使節団のボス)には、竹内下野守保徳、56歳。…ちなみに「たけうち しもつけのかみ やすのり」と読みます。
副使(ようするに助手)は、若手の松平石見守康英、31歳。こちら「まつだいら いわみのかみ やすひで」と読みます。
そして観察使(御目付のこと。「書記」と訳すと聞こえが良いが諭吉曰く「監視役」)は京極能登守高朗、38歳。「きょうごく のとの かみ たかあきら」と読むわけです。

竹内下野守保徳は、ご本人のお名前は「竹内保徳」。
竹内保徳という名の下野(しもつけ)の国のお役人という意味です。
松平石見守康英は、石見(いわみ)の国のお役人、松平康英さん。
京極能登守高朗は、能登(のと)のお役人、京極高朗さん。

そして使節団のなかに、若き福澤諭吉の姿もあったわけです。27歳!
諭吉は中津藩から派遣された人材で、適塾で鍛えられ、オランダ語に長けていましたから、この欧州訪問では翻訳係を担当していました。

当時、「係」は「方」と書いていました。
なので諭吉は「翻訳方」。
通訳は「通事方」。
会計係は「御勘定方」。
監視係は「御目付方」と…。

…で、この執筆に余念のない日々、書いているのは連載ですから、何号を書いていたのか昨年のこと。
日本では立て続けに「疑惑」に沸いた時期がありました。
和製ベートーベンは、実は聞こえているのではないか疑惑と、STAP細胞は実は無いんじゃないか疑惑。
渦中の人の名は「鈴木」や「山本」などの耳慣れた名前ではありませんでした。

佐村河内守さんと小保方晴子さん。

…はい、オチが見えてきたと思います。
佐村河内守…小保方晴子…

佐村河内守小保方晴子事件…

河内(かわち)の国で小保なる係に就いている佐村晴子の起こした事件とはいったい…。

無駄にお時間を取らせてしまい…かたじけない!

(この画像は、文久遣欧使節団がロンドン万博を視察したときの様子です)

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